2020年7月5日日曜日

不幸になる薬 (短編)

先月投稿した1000字小説です。もしよろしければ。
http://tanpen.jp/213/13.html

発明家の先生を誇らしく思っていた。人の幸せを研究していて、飲むだけで人を幸せにする薬を開発しようとしていた。そんな夢のようなことを本当にまじめに実直に研究していたので、そんな偉大な発明で、人のために力を尽くす先生をかっこいいと思っていた。先生はきっとできると思っていたし、助手の私もそう思っていた。そして、密かに先生に恋もしていた。
失敗続きで資金もわずかになっていた。そんなとき、先生は変なにおいのする泥のような液体を持ってきた。「飲むだけで不幸になる薬だ。とんでもない発明だ。」やつれた顔で笑う表情に、かつての実直だった先生はもうそこにいないと気付いた。
不幸になる薬は、これまで先生の発明を嘲笑してきた顔見知りの発明家や科学者数人で試された。ばれたら大問題だが、先生は実行してしまった。研究発表の場でこっそり料理に混ぜ込んだと言う。顔見知りだった発明家は発明に失敗して事故を起こしたり、ある科学者は過去の論文ねつ造が明らかにされたり。もちろん身から出たさびもあるが、実直な先生を尊敬する気持ちは完全に消えた。先生のこれまでの研究はこんなことのためにあったのではない。私は絶望して助手を辞めた。

数か月経った。
薬を知らぬ間に盛られた人たちを私は密かに注視していた。私も先生の研究を長く支えてきたものとして責任を感じていた。どうしようもなく不幸になっていけば、何とか助けなければならない。だが、それは杞憂だった。
発明家は、発明の失敗から再起していた。発明家は失敗続きなのだが、先生もそうだったように、失敗に慣れているのだ。たくましく研究を続けていて、何の縁だか宇宙開発のチームに参加している者や、あるいは、事故ですべてを失ったものの、宗教に目覚めて仏道に入った者まで、この失敗をきっかけに新たなスタートを切っている者ばかりだ。論文ねつ造が発覚した科学者は、その結果ばかりが求められる科学の変革が大いに盛り上がって、研究倫理の改革についてコメントする立場になって、自分の新たな居場所を見つけていた。
発明は成功していたのだ。彼らは一時的に不幸となったが、禍福は糾える縄の如し、幸せになっていったのだ。本当は自殺でもする覚悟で持ち歩いていた、あの不幸になる薬のカプセル…私もこの薬を飲もう。

先生は政治家と手を組んだ。例の薬の軍事利用を研究しているとか。
あの薬を発明して一番不幸になったのは先生だったに違いない。